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1: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2013/12/26 20:25:19 ID:F1LMcRE40

うちは貧乏な母子家庭で、俺が生まれた時はカメラなんて無かった
だから写真の変わりに母さんが色鉛筆で俺の絵を描いて、アルバムにしてた
絵は上手じゃない
ただ、どうにかして形に残したかったらしい
ほぼ毎日、赤ん坊の俺を一生懸命描いてた
絵の隣に『キゲンが悪いのかな??』とか『すやすや眠ってます?』ってコメント付きで
小学四年生の時、家に遊びに来た友達数人に、そのアルバムを発見された
めちゃくちゃ笑われて、貧乏を馬鹿にされた
友達が帰って直ぐ、俺はアルバム三冊をバラバラに破いてゴミ箱に捨てた
パートから帰って来た母さんがそれを見つけて、泣きだした
破いた理由を言っても、変わらず泣き続けた
翌朝起きると、居間で母さんがゴミ箱から絵の破片を集めてセロハンテープでとめてた
「恥ずかしい思いさせてごめんね。でもね、これ、母さんの宝物なんよ」
申し訳なさそうに優しくそう言われると、涙が溢れ、俺はごめんなさいと謝った



3: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2013/12/26 20:34:12 ID:F1LMcRE40

私の母は昔から体が弱くて、それが理由かは知らないが、
母の作る弁当はお世辞にも華やかとは言えないほど質素で見映えの悪い物ばかりだった。
友達に見られるのが恥ずかしくて、毎日食堂へ行き、お弁当はゴミ箱へ捨てていた。
ある朝母が嬉しそうに「今日は〇〇の大好きな海老入れといたよ」と私に言ってきた。
私は生返事でそのまま学校へ行き、こっそり中身を確認した。
すると確かに海老が入っていたが殻剥きもめちゃくちゃだし、彩りも悪いし、
とても食べられなかった。
家に帰ると母は私に「今日の弁当美味しかった?」としつこく尋ねてきた。
私はその時イライラしていたし、いつもの母の弁当に対する鬱憤も溜っていたので
「うるさいな!あんな汚い弁当捨てたよ!もう作らなくていいから」とついきつく言ってしまった。
母は悲しそうに「気付かなくてごめんね…」と言いそれから弁当を作らなくなった。

それから半年後、母は死んだ。私の知らない病気だった。
母の遺品を整理していたら、日記が出てきた。
中を見ると弁当のことばかり書いていた。
「手の震えが止まらず上手く卵が焼けない」 日記はあの日で終わっていた。
後悔で涙がこぼれた


5: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2013/12/26 20:38:31 ID:F1LMcRE40

サキちゃんのママは重い病気と闘っていたが、死期を悟ってパパを枕元に呼んだ。
その時、サキちゃんはまだ2歳。
「あなた、サキのためにビデオを3本残します。
 このビデオの1本目は、サキの3歳の誕生日に。2本目は小学校の入学式に。
 そして3本目は…○○○の日に見せてあげてください」
まもなく、サキちゃんのママは天国へと旅立った。

そして、サキちゃんの3歳の誕生日。1本目のビデオがかけられた。
(ビデオからつないだテレビ画面に、病室のママが映し出される)
「サキちゃん、お誕生日おめでとう。ママ、うれしいなぁ。
 でもママはね、テレビの中に引っ越したの。だから、こうやってしか会えない。
 パパの言うことをよく聞いて、おりこうさんでいてね。だったら、ママ、また会いに来ます」

サキちゃんの小学校入学の日。2本目のビデオ。
「サキちゃん、大きくなったネ。おめでとう……。ママ、うれしいな。どんなにこの日を待っていたか。
 サキちゃん、ちゃんと聞いてね。
 ママが今住んでいるところは、天国なの。だから、もう会えない。
 でもね、パパのお手伝いがちゃんとできたら、ママ、もう一回だけ、会いに来ます。
 じゃあ、魔法をかけるよ。 エイッ!
 ほうら、サキちゃんは料理や洗濯ができるようになりました」

そして3本目のビデオ。そのタイトルは、こう書いてあった。

新しいママが来た日のサキちゃんに


7: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2013/12/26 20:39:56 ID:F1LMcRE40

>>5の続き

そしてサキちゃんが10歳の時、パパは再婚し、新しいママが来た。
3人いっしょに、3本目のビデオを見つめた。
なつかしいママの顔が映し出された。
「サキちゃん、おうちの仕事、がんばったね。えらかったね。
 でも、もう大丈夫。新しいママが来たんだから。
 ……
 サキちゃん。今日で本当にお別れです。
 ……
 サキちゃん、今、身長はどれくらい?ママには見えない。
 (泣き崩れ、カメラを抱え込む姿が映る)
 ママ、もっと生きたい…。
 あなたのために、おいしいものいっぱいつくってあげたい…。
 あなたの成長を見つめていたい…。
 じゃあ、サキちゃん、これがママの最後の魔法です。
 それは、『ママを忘れる魔法』です。
 ママを忘れて、パパと、新しいママと、楽しい暮らしをつくってください。
 では、魔法をかけます。1、2、3、ハイッ!」
そこでビデオは終わった。

しかし、サキちゃんに、この魔法は効かなかった。
パパと、新しいママにも効かなかった。
ママは、みんなの心の中に、ちゃんと残っていた。

そして今度は、サキちゃんが主役の、4本目のビデオがつくられたのだった。
天国のママに見てもらうために


17: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2013/12/26 20:51:55 ID:Ho/M8X2+0

>>7
これええな


6: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2013/12/26 20:39:09 ID:6F58Bnwh0

         .。::+。゚:゜゚。・::。.        .。::・。゚:゜゚。*::。.
      .。:*:゚:。:+゚*:゚。:+。・::。゚+:。   。:*゚。::・。*:。゚:+゚*:。:゚:+:。.
ウワ━.:・゚:。:*゚:+゚・。*:゚━━━━゚(ノД`)゚━━━━゚:*。・゚+:゚*:。:゚・:.━ン!!
  。+゜:*゜:・゜。:+゜                   ゜+:。゜・:゜+:゜*。
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9: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2013/12/26 20:41:15 ID:F1LMcRE40

幼い頃に父が亡くなり、母は再婚もせずに俺を育ててくれた。学もなく、技術もなかった
母は、個人商店の手伝いみたいな仕事で生計を立てていた。それでも当時住んでいた
土地は、まだ人情が残っていたので、何とか母子二人で質素に暮らしていけた。

娯楽をする余裕なんてなく、日曜日は母の手作りの弁当を持って、近所の河原とかに
遊びに行っていた。給料をもらった次の日曜日には、クリームパンとコーラを買ってくれた。

ある日、母が勤め先からプロ野球のチケットを2枚もらってきた。俺は生まれて初めての
プロ野球観戦に興奮し、母はいつもより少しだけ豪華な弁当を作ってくれた。

野球場に着き、チケットを見せて入ろうとすると、係員に止められた。母がもらったのは
招待券ではなく優待券だった。チケット売り場で一人1000円ずつ払ってチケットを買わ
なければいけないと言われ、帰りの電車賃くらいしか持っていなかった俺たちは、外の
ベンチで弁当を食べて帰った。電車の中で無言の母に「楽しかったよ」と言ったら、
母は「母ちゃん、バカでごめんね」と言って涙を少しこぼした。

俺は母につらい思いをさせた貧乏と無学がとことん嫌になって、一生懸命に勉強した。
新聞奨学生として大学まで進み、いっぱしの社会人になった。結婚もして、母に孫を見せて
やることもできた。
そんな母が去年の暮れに亡くなった。死ぬ前に一度だけ目を覚まし、思い出したように
「野球、ごめんね」と言った。俺は「楽しかったよ」と言おうとしたが、最後まで声にならなかった。


これが一番泣いた


10: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2013/12/26 20:42:13 ID:DHLx8mot0

いや一番胸にくるのは「そうか、あかんか」だろ


13: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2013/12/26 20:45:57 ID:OqpuSoB80

>>10
これ


16: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2013/12/26 20:51:09 ID:F1LMcRE40

>>10
京都市伏見区桂川河川敷で2月1日、無職片桐康晴被告が、
認知症の母親を殺害して無理心中を図ったとみられる事件の初公判が19日に行われた。
事件内容は認知症の母親の介護で生活苦に陥り、母と相談の上で殺害したというもの。
片桐被告は母を殺害した後、自分も自殺を図ったが発見され一命を取り留めたとの事。
片桐被告は両親と3人暮らしだったが、95年に父が死亡。その頃から、母に認知症の症状が出始め、一人で介護した。
母は05年4月ごろから昼夜が逆転。徘徊で警察に保護されるなど症状が進行した。
片桐被告は休職してデイケアを利用したが介護負担は軽減せず、9月に退職。
生活保護は、失業給付金などを理由に認められなかった。
介護と両立する仕事は見つからず、12月に失業保険の給付がストップ。カードローンの借り出しも限度額に達し、デイケア費やアパート代が払えなくなり、
06年1月31日に心中を決意した。

「最後の親孝行に」
片桐被告はこの日、車椅子の母を連れて京都市内を観光し、2月1日早朝、同市伏見区桂川河川敷の遊歩道で
「もう生きられへん。此処で終わりやで。」などと言うと、母は
「そうか、あかんか。康晴、一緒やで」と答えた。片桐被告が
「すまんな」と謝ると、母は
「こっちに来い」と呼び、片桐被告が母の額にくっつけると、母は
「康晴はわしの子や。わしがやったる」と言った。
この言葉を聞いて、片桐被告は殺害を決意。母の首を絞めて殺し、
自分も包丁で首を切って自殺を図った。
冒頭陳述の間、片桐被告は背筋を伸ばして上を向いていた。肩を震わせ、
眼鏡を外して右腕で涙をぬぐう場面もあった。
裁判では検察官が片桐被告が献身的な介護の末に失職等を経て追い詰められていく過程を供述。
殺害時の2人のやりとりや、
「母の命を奪ったが、もう一度母の子に生まれたい」という供述も紹介。
目を赤くした東尾裁判官が言葉を詰まらせ、刑務官も涙をこらえるようにまばたきするなど、法廷は静まり返った。


11: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2013/12/26 20:43:44 ID:F1LMcRE40

自分がまだ幼稚園児の頃だと思うのだが、
夜中にふいに目が覚めると、父が覗き込んでいて、いきなり泣き出した。
大人が泣くのを見るのは、記憶の限りその時が初めてで、
しかも父はとにかく強くてかっこいい!と信じていたので、凄く吃驚して変に印象に残ってる。
その後、何度か確認する機会があったが、父がいつも
「夢でも見たんだろう」と言っていたので、何しろ幼児の頃の記憶だし、自分もそう思うようになっていた。

が、20年以上の歳月を経て、父はついに白状した。
当時、とにかく忙しい職場に勤めていた父は、朝は私が起き出す前に出勤。夜は就寝後に帰宅の日々。
寝顔をそっと覗き見るのが日課で、このままでは娘に顔を忘れられてしまうと不安に思っていたらしい。
そんなある日、いつものように寝顔を眺めていると、私が目を覚ましてしまった。
やばい、良く寝ていたのに、ぐずってしまうかも知れない…父が焦っていると、
私が寝ぼけ眼のまま「おとーしゃんだ」と言って、ニッコリと笑ったらしい。
ろくに顔をあわせることもできず、たまの休みにも疲れ果てて寝ていることが多い。
しかもこんな夜中に起こされて、それでもこの子は自分の顔を見て喜んでくれるのか、
こんなふうに笑ってくれるのか、と思ったら、愛しさが込み上げて思わず泣いてしまったらしい。
それがどうにも恥ずかしくて照れくさくて、どうしても本当のことが言えなかった。
嘘付いててスマン!と告白される結婚式前夜。
内心は萌えつつも、明日目が腫れたらど-してくれる!!と私が切れたので、笑い話になったが、
父が涙を流していたあの記憶は、私にとって良い思い出になった。


15: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2013/12/26 20:49:47 ID:MTUVRdRE0

俺がまだ小学校に上がる前父親が交通事故で亡くなり、母親は女手1つで俺を育ててくれた。

父親と結婚する前仕事らしい仕事もしたことがなかった母親は
お弁当屋の調理やコンビニエンスストアのレジなどのパート勤務で生計を立てていた。

当然家は貧しく、俺は高校を卒業したものの、折からの不景気で、就職もできず家でぶらぶらしてばかりいた。

そんな俺に母親は「そのうちいい仕事が見つかるよ」と独り言のように呟いては無理に明るく笑いかけていた。



ある日、母親は「パソコンぐらい使えないと就職も難しいのかね」と呟き、俺を電器店に連れていった。

パソコンのことは何も知らない母親と俺は店員に勧められたパソコンを買い、
インターネット接続の作業も頼んで店を後にした。

帰るとき母親は「25万円かー、こんな大金を使うのは父さんが死んで初めてだね」と笑った。

新たに増えた月々15000円のローン返済のために母親は、パートを増やし夜遅くまで働くようになった。

俺の方は無料で遊べるネットゲームを見つけ、その面白さに魅せられ、
来る日も来る日もひたすらゲームばかりしていた。

いつもパソコンに向かっている俺を、パソコンの学習と思い込んだ母親は
「パソコン上手になった? いい仕事が見つかるといいね」と言っては笑ってた。

毎日働きづめの母親の笑い顔はどこか疲れていて、
俺はその笑顔を見るとゲームばかりやっている自分が情けなくなった。

そんなある日、母親の仕事先から電話があった。


18: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2013/12/26 20:52:35 ID:MTUVRdRE0

>>15の続き
母親が倒れて救急車で病院に運ばれたとのことだった。俺は急いで病院に向かった。ボロの自転車を1時間あまりこぎ続けて、ようやく病院に着いた。
心配している俺に向かって母親はベッドから起き上がり、「ただの過労だよ。」と笑った。
「パソコン上手になって、いい仕事が見つかったら自動車も買えるからね。」と言いながら、細い腕を伸ばして汗だくの俺の額をタオルで拭いた。
病院まで遠いこともあって、俺はそれ以降は病院に行かずに、母親の世話は近所のおばさんに任せっぱなしにして相変わらずゲームにのめりこんでいた。
母親が入院して5日後、病院から精密検査の結果をお伝えしますからという電話があり、俺は自転車で向かった。
5日ぶりに会った母親はいよいよ元気がなく、俺は妙な不安を覚えた。
母親との面会の後、診療時間を過ぎた診察室に通らされた俺は、
担当の医師から母親が急性白血病であと3ヶ月あまりの余命だということを聞かされた。
俺は頭の中が真っ白になった。それから母親に負担をかけっぱなしで、
最近は母親の期待を裏切ってゲームばかりしている自分が情けなくて、涙がこみあげてきた。
医師は「患者さんに動揺を察しられるといけませんから今日はこのまま帰った方がいいでしょう」と言った。
俺は泣きながら自転車をこいで帰っていった。家に着くと俺はRMTで自分のアカウントやアイテムを全部売りに出した。
かなりの安値なのですぐに買い手は見つかった。翌日、自分のちっぽけな郵便預金口座から8万円を引き出し、
母親が好きなチーズケーキとヨーグルトを立派な店で買い、病室を訪れた。
母親はチーズケーキを見ると驚いて「お金はどうしたの?」とたずねた。
「パソコンのバイトで8万円手に入ったから」と俺は嘘をついた。
母は心から嬉しそうににっこり笑って「パソコン上手になったからいい仕事が見つかったんだね」と言った。
「免許をとって車を買うのに無駄遣いはしないでね」と続けて言い、おいしそうにヨーグルトを食べた。
それから一週間ほどが過ぎた日の朝、母親は亡くなった。
母の遺体が安置室に運ばれ、がらんとした病室で小物類を片付けていると、
看護婦さんが俺を慰めようと優しく声をかけた。「パソコン得意なんですってね、お母さんは毎日のように自慢してたわ」
俺はその言葉を聞くやいなや涙がこみ上げてきた。そして体を震わせて大声を上げて泣き続けた。


19: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2013/12/26 20:52:55 ID:zkSgNEgC0

なんで母親ネタばっかしなんだよ


20: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2013/12/26 20:55:06 ID:F1LMcRE40

母親は泣ける


俺ニートだからいつも昼過ぎまで寝てるんだけど、たまに朝早く目が覚めることがあってさ
ぼーっとしてたら母さんが部屋に入ってきて「おはよう」って言ってたのね
「おはよう」って返事したら、俺が起きてる事に気付いてなかったみたいで母さん驚いてた
そんな事が何回かあって、母さんは俺が寝てるのを知ってて、毎朝返事のない「おはよう」を言ってくれてる事に気付いた
たいした事じゃないんだけど、なんか凄い嬉しかった


21: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2013/12/26 20:59:07 ID:w146jN2S0

658:名無し職人 :2007/06/12(火) 21:58:16 [sage]
俺の高校に生徒に馬鹿にされてたチビデブの物理の教師がいた。
その教師は、本当に馬鹿のひとつ覚えで毎朝校門に一人立って「おはよう」と声を掛けた。
他の教師も「よくやるよ、点数稼ぎ」と、あからさまにその教師を批判してたな。
雨の日も風の日も、ずっと。1年くらいしたら、普通にみんな挨拶するようになったな。
卒業式の日、校長挨拶のあと、その教師が壇上に突然上がってきて

「みんな、卒業おめでとう。
僕は本当にダメな教師で、今までみんなからどう見られていたか知っています。
でも、こんな僕にもみんなに伝えることができた言葉があります。【おはよう】
この言葉は、社会に出ても胸を張って言える様にして下さい。
毎日を一生懸命に生きている人の【おはよう】は、さわやかで他人の心を和やかにします。
いろいろな苦難や障害にぶち当たっても、顔をあげて、笑顔で【おはよう】と言ってください。
僕が教えた物理の授業は忘れてもいいですから【おはよう】だけは忘れない大人になって下さい」

ヤツは泣いてた。愚直な、ちょっと馬鹿入ったような涙で。
俺はちょっと泣いた。今、ヤツの物理の授業は忘れたが毎日の挨拶は忘れていない


28: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2013/12/26 21:14:32 ID:EOEeQCGX0

小さい頃さあ
紙石鹸が好きだったんだよな
たまたま小学○年生の付録についてきたんだ
そんで紙石鹸もっと欲しいからカーチャンに買ってくれって頼んだらさあ
スーパーいっても薬局行っても無かったって言われた

だけど半紙に石鹸水染み込ませて俺のためにいっぱい紙石鹸作ってくれて
でも俺、あれ全部捨てちゃったんだよな
こんなの紙石鹸じゃないって怒ったんだよなー

今カーチャンは糖質だ
そんで病院にいる
いつもすごい暗い顔してる
でもこないだとても明るかったからなんだろうと思ったら
病院の売店に紙石鹸があったって言っていい歳こいた俺にいっぱいくれたよ
馬鹿かよ



ごめんクソつまらねえ
語りたくなった


29: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2013/12/26 21:24:52 ID:XsvkZK290

やめろ やめろよ


30: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2013/12/26 21:26:38 ID:EOEeQCGX0

43 :名前は誰も知らない:2009/03/26(木) 13:41:45 ID:X1CT6vtZO
母に孫の顔見せてやれなかった。
母を介護していた時の夢をよくみる
あのとき、「俺の人生を駄目にしたのはあんただ」と言ってしまった。
そのときの母の悲しい顔は今も忘れられない。
一生母の面倒を見ようと腹を決めた時、母は逝ってしまった。
最後の言葉はありがとうだった。


627 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :05/03/19 11:47:45 ID:oiy1CngtO
母の日っていつだよ


628 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :05/03/19 11:59:49 ID:JjmWx3FN0
>>627
おまいが親孝行したくなった日全部だ


31: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2013/12/26 21:27:30 ID:EOEeQCGX0

俺は母親が嫌いだ。大嫌いだ。
おせっかいなとこが嫌いだ。何よりも子供を一番に考えるとこが嫌いだ。
大学に入り、一人暮しを始めて二年も経つ俺を赤ちゃんみたいに心配するとこが嫌いだ。
今まで付き合った彼女より誰よりも俺を心配してくるとこが嫌いだ。
金が無くなって「もっと金を送れ!」と、言って結局送ってくるくせに
しぶるとこが嫌いだ。「こんな家に生まれてこなければよかった」と、言うと
電話越しに本気で泣くとこが嫌いだ。
俺は母親が嫌いだ。とにかく嫌いだ。
そんな母親がこの間死んだ。毎日のように俺を心配してかけてくる電話が
ただただウザくて、俺は携帯の電源を切っていた。だから、通夜にも行けなかった。
死因は働き過ぎでの過労と、電話が繋がらない俺を心配して体調を悪くした併発だった。
俺は母親が嫌いだ。自分の給料の倍以上の仕送りをする為に、働き過ぎるとこが嫌いだ。
こんな俺のために死んだ母親が嫌いだ。五十年近くの人生の半分を俺に費やしたとこが嫌いだ。
死ぬ直前まで、俺の声を聞きたがっていたとこが嫌いだ。
俺が毎日2chに入り浸っているとも知らず、死ぬまで働いた母親が嫌いだ。
今日をもって、俺は2chを引退する。嫌いだった母親にしてあげれなかった
親孝行を今更だがしたい。受け止めれない程の愛をくれた母親の為に頑張って生きていきたい


34: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2013/12/26 21:30:28 ID:4nDx+eBH0

■15~25歳「ニート」
親も元気でまだまだ学生気分で毎日ゲーム、ネット三昧で幸せな日々
友人達は社会人になり、影で馬鹿にされつつ徐々に疎遠になり友人居なくなる。
現実からは目を背け楽な方に楽な方に逃げる毎日
親と仕事の事でよく喧嘩するがその内就職するだろうと親もまだ楽観的
「うるせえ糞ババア」「働いたら負け」「30で自殺するから今が楽しければいい」など思い自分を正当化

■26~30歳「ウンコ製造機」
親の退職が近くなり家にさえも居辛くなる たまに求人見てみるも既に手遅れ底辺の仕事しかなく絶望する
友人達は次々に家庭を持ち始める。式に招待されても、もちろん行ける訳も無く
死ぬ予定の30が日に日に近くなる。
やっぱり死ぬの怖い 現実から強引に目を背けるのも限界に。日に日に弱っていく親。


親が鬱病に。 その内、毎日仕事の事で親とマジ喧嘩。 親を泣かせる日々。
「就職活動してるって言ってるだろ!(注:してない)」 「正社員になっても将来不安なのは一緒」「無職沢山居るから何とかなる」などと思っている

■31~35歳「社会のゴミ」
親が退職。収入が無くなり親も日に日に必死になる。毎日修羅場。 ようやく重い腰を上げるも既に末期。正社員は無理。
若ければ誰でも入れるブラック大手でさえ怪しい。状態。 言い訳、泣き言ばかりがリフレイン。(カワイソスw )

■35~「日本のゴミクズ」
全て自分の責任なのだが、精神的に子供のままココまで来てしまった為 親が悪い。時代が悪かった。国が悪い。と泣き言を言って自分を慰める日々。
親の貯蓄もいい加減限界に。しかし今度は親の年金を当てにし始める。 親が死んでも遺産が有ると考えてしまう根っからの屑になってしまった。
親が死に期待していた遺産キター!が、相続税で持って行かれてしまう。 今度は国にたかる事を考え生活保護の申請するが余裕で却下され、 日本で生きていく事の大変さを今頃思い知る。
が誰も助けてくれず。 そのうち住む場所も無くなってしまい住所不定になり幕を閉じる。


35: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2013/12/26 21:31:48 ID:4nDx+eBH0

10~20代:適当に暮らしていても、親もまだ現役世代なのでまだまだパラサイト可能。
       夢がある、やりたい事を探しているなどといいつつ、社会人に比べるとたいした苦労もなく、
       自由を謳歌した気ままな生活を送る。一生フリーターでもいいやなどと豪語する。

20~30代:同級生たちは中堅どころ。自分はまだまだ浮草生活。ただ、親が退職した頃から
       生活費が苦しいことをリアルに感じ出す。しかし改心していざ職に就こうにも
       年齢制限、職歴なしで全て書類落ち。面接にも漕ぎ着けられない。ようやく現実を知る。
       身分に差がつき始め、恥ずかしくて友人の結婚式や同窓会に出席できなくなる。

30~40代:社会人の同級生はぼちぼち管理職となり月収も増え、ボーナスの額に一喜一憂するが、
       自分の時給は20代の頃と変わらない。それどころか、体力は衰える一方なのに、
       仕事はバイトで、相変わらず、単純作業・深夜・立ちっぱなし等の肉体労働。
       いまだ職歴なし。普通の庶民の生活に憧れるが完全に手遅れ。
       結婚も家庭も諦める。絶望が全身を支配する。

40代~  :若いフリーターの方が使えるのでバイトを首になる。新しいバイトを探すも、
       物覚えが悪くいざって時に首を切りづらい高齢フリーターは嫌がられ、
       バイトも見つからない。当然、貯蓄があるわけでもなく、
       親戚からも疎まれる社会のお荷物と化す。
       いつしか一線を超えてしまい、雨風をしのぐためのビニールシートを購入する。
       服は毎日同じ。プライドを捨て、コンビニ・飲食店の残飯あさりを始める。

60代~  :同世代は孫ができ、退職後は退職金やこれまでの貯蓄、年金等で、
       贅沢とは言えないまでも普通の暖かい老後を送る。幸せな普通の人生と言える。
       一方長年に渡る浮浪者生活で体はボロボロ、あちこちが痛む。しかし健康保険もないので
       病院にも行けない。もちろん国民年金などもらえない。あとは時間の問題にすぎない。

終末   :親族の中では行方不明のまま、共同墓地で無縁仏となる。


36: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2013/12/26 21:33:13 ID:EOEeQCGX0

バイト先に彼氏いない歴25年らしい大人しい子がいた。
局の子にお昼おごらされたり、
派遣社員の子から高額なマルチ商法の商品買わされたりしてた。
皆が「アイツはお人好しだから何言っても絶対断らない」と
学生のイジメのようにバカにして嫌な事押し付けたりしていた。

もともとその子を優しくて良い女だと好感を抱いていた上に
この子なら断らないかもと思った俺は彼女を休日に食事に誘ってみた。
生まれて初めて女性からOKをもらい、嬉しくて店を色々調べて下準備し、
当日は思いきりお洒落してピカピカに洗った車で迎えに行き、
頑張って話を盛り上げてご飯を御馳走し、家まで送り届けた。
とても楽しくて何度も誘った。彼女も楽しんでくれていると思った。

段々好きになって今度告白しようと決心して食事に誘った時、
「本当はずっと嫌だった。もう誘わないで欲しい」と言われた。
彼女の顔は気の毒になる位必死だった。きっと決死の思いで言ったのだろう。
「ほら~!麻衣、ちゃんと断れるじゃないですか!
今度から嫌な事 頼まれたら、今みたいにビシッと言えよ!
俺、ずっと麻衣が何言っても断れないの、心配したよ!」
と、俺は泣き出しそうなのをこらえて出来るだけ明るく元気に取り繕った。
彼女はとてもホッとしたような顔をして何度も俺にお礼を言った。
俺から好かれている訳じゃない事がわかって、そんなに嬉しかったのかな。
昨日の話です。もう色恋は諦めますた。一生童貞でかまいません。


転載元:http://hayabusa.2ch.net/test/read.cgi/news4vip/1375958116/

1: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2013/08/08 19:35:16 ID:6fx3KQEp0

学生時代、貧乏旅行をした。帰途、寝台列車の切符を買ったら、残金が80円!
もう丸一日以上何も食べていない。家に着くのは約36時間後…。
空腹をどうやり過ごすか考えつつ、駅のホームでしょんぼりしていた。

すると、見知らぬお婆さんが心配そうな表情で声を掛けてくれた。わけを話すと、持っていた
茹で卵を2個分けてくれた。さらに、私のポケットに千円札をねじ込もうとする。
さすがにそれは遠慮しようと思ったが、お婆さん曰く、
「あなたが大人になって、同じ境遇の若者を見たら手を差し伸べてあげなさい。社会ってそういうものよ」
私は感極まって泣いてしまった。

お婆さんと別れて列車に乗り込むと、同じボックスにはお爺さんが。最近産まれた初孫のことを詠った
自作の和歌集を携えて遊びに行くという。ホチキスで留めただけの冊子だったので、あり合わせの
糸を撚って紐を作り、和綴じにしてあげた。ただそれだけなんだが、お爺さんは座席の上に正座して
ぴったりと手をつき、まだ21歳(当時)の私に深々と頭を下げた。
「あなたの心づくしは生涯忘れない。孫も果報者だ。物でお礼に代えられるとは思わないが、気は心だ。
せめて弁当くらいは出させて欲しい。どうか無礼と思わんで下さい」
恐縮したが、こちらの心まで温かくなった。

結局、車中で2度も最上級の弁当をご馳走になり、駅でお婆さんに貰ったお金は遣わずじまいだった。
何か有意義なことに遣おうと思いつつ、その千円札は14年後の今もまだ手元にある。
腹立たしい老人を見ることも少なくないけれど、こういう人たちと触れ合うことができた私は物凄く幸運だ。



9: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2013/08/08 19:43:54 ID:0x1jwwol0

小学生のとき、少し足し算、引き算の計算や、会話のテンポが少し遅いA君がいた。
でも、絵が上手な子だった。
彼は、よく空の絵を描いた。
抜けるような色遣いには、子供心に驚嘆した。

担任のN先生は算数の時間、解けないと分かっているのに答えをその子に聞く。
冷や汗をかきながら、指を使って、ええと・ええと・と答えを出そうとする姿を周りの子供は笑う。
N先生は答えが出るまで、しつこく何度も言わせた。
私はN先生が大嫌いだった。

クラスもいつしか代わり、私たちが小学6年生になる前、N先生は違う学校へ転任することになったので、
全校集会で先生のお別れ会をやることになった。
生徒代表でお別れの言葉を言う人が必要になった。
先生に一番世話をやかせたのだから、A君が言え、と言い出したお馬鹿さんがいた。
お別れ会で一人立たされて、どもる姿を期待したのだ。

私は、A君の言葉を忘れない。

「ぼくを、普通の子と一緒に勉強させてくれて、ありがとうございました」

A君の感謝の言葉は10分以上にも及ぶ。
水彩絵の具の色の使い方を教えてくれたこと。
放課後つきっきりでそろばんを勉強させてくれたこと。
その間、おしゃべりをする子供はいませんでした。
N先生がぶるぶる震えながら、嗚咽をくいしばる声が、体育館に響いただけでした。


11: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2013/08/08 19:45:25 ID:PLPxocOt0

>>9
これを超えるのが未だに無いわ


12: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2013/08/08 19:46:42 ID:0x1jwwol0

アメリカのとある地方に野球観戦の大好きな、でも、目の見えない少年がいました。
少年は大リーグ屈指のスラッガーである選手にあこがれています。
少年はその選手へファンレターをつづりました。
「ぼくは、めがみえません。でも、毎日あなたのホームランをたのしみにしています。しゅじゅつをすれば見えるようになるのですが、こわくてたまりません。あなたのようなつよいこころがほしい。ぼくのヒーローへ。」
少年のことがマスコミの目にとまり、二人の対面が実現することになりました。
カメラのフラッシュの中、ヒーローと少年はこう約束します。
今度の試合でホームランを放てば、少年は勇気をもって手術に臨む、と。
そして、その試合、ヒーローによる最後の打席。2ストライク3ボール。
テレビや新聞を見た多くのファンが、スタジアムで固唾をのんで見守り、
少年自身も、テレビの中継を祈る思いで聞いています。
ピッチャーが投げた最後のボールは、
大きな空振りとともに、キャッチャーミットに突き刺さりました。
全米から大きなためいきが漏れようとしたその時、
スタジアムの実況が、こう伝えました。

「ホームラン! 月にまで届きそうな、大きな大きなホームランです!」


19: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2013/08/08 20:01:56 ID:Tmdy1QXP0

俺が小さい頃に撮った家族写真が一枚ある。
見た目普通の写真なんだけど、実はその時父が難病(失念)を宣告されていて
それほど持たないだろうと言われ、入院前に今生最後の写真はせめて家族と・・・と撮った写真らしかった。
俺と妹はまだそれを理解できずに無邪気に笑って写っているんだが、
母と祖父、祖母は心なしか固いというか思い詰めた表情で写っている。
当の父はというと、どっしりと腹をくくったと言う感じで、とても穏やかな表情だった。

母がその写真を病床の父に持って行ったんだが、その写真を見せられた父は
特に興味も示さない様子で「その辺に置いといてくれ、気が向いたら見るから」と
ぶっきらぼうだったらしい。母も、それが父にとって最後の写真と言う事で、見たがらないものをあまり
無理強いするのもよくないと思って、そのままベッドのそばに適当にしまっておいた。

しばらくして父が逝き、病院から荷物を引き揚げる時に改めて見つけたその写真は、
まるで大昔からあったようなボロボロさで、家族が写っている部分には父の指紋がびっしり付いていた。

普段もとても物静かで、宣告された時も見た目普段と変わらずに平常だった父だが、
人目のない時、病床でこの写真をどういう気持ちで見ていたんだろうか。

今、お盆になると、その写真を見ながら父の思い出話に華が咲く。
祖父、祖母、母、妹、俺・・・。


その写真の裏側には、もう文字もあまり書けない状態で一生懸命書いたのだろう、
崩れた文字ながら、「本当にありがとう」とサインペンで書いてあった。


    1001: 以下、名無しにかわりまして超まとめがお送りします 200X/01/01 00:00:00 ID:ChoMatome
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    0 : どうやら超管理人 2013-12-28 02:01:00
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    1 : 超名無しさん 2013-12-28 03:49:46
    貧乏人コピペは全く泣けないしいいとも思わん
    そもそもまともに生活できないレベルの貧乏人がガキ作ってんじゃねーよとしか思えないし
    2 : 超名無しさん 2013-12-28 12:06:43
    泣いてねーよ (:_;)
    3 : 流れる超名無しさん 2013-12-28 20:17:28
    ※3泣いてるよ
    4 : 流れる超名無しさん 2014-01-06 17:20:57
    泣いてねーもんq(涙)
    5 : 超名無しさん 2014-01-13 20:45:33
    裁判のやつは泣けるわ
    6 : 流れる超名無しさん 2014-01-24 02:34:07
    7が
    7 : 流れる超名無しさん 2014-01-26 19:39:45
    これ好き
    8 : 流れる超名無しさん 2014-02-01 12:15:35
    わたしもこうゆう体験したい
    9 : 流れる超名無しさん 2014-02-03 19:17:26
    うわああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ
    10 : スマートな超名無しさん 2014-03-12 18:18:54
    うわあぁぁぁぁぁぁぁぁ
    11 : スマートな超名無しさん 2014-05-04 13:22:52
    ええな。
    12 : 流れる超名無しさん 2014-07-06 10:27:33
    おまいが親孝行したくなった日全部だ  これ名言だろ
    13 : 超名無しさん 2014-08-03 13:58:56
    タバコも酒もやめよ
    14 : 流れる超名無しさん 2015-01-11 00:52:29
    いいね
    15 : 流れる超名無しさん 2015-03-14 22:35:46
    3、マジ涙腺崩壊
    16 : 流れる超名無しさん 2015-04-03 13:54:18
    おっおっおっ(^ω^三 ^ω^)
    17 : 流れる超名無しさん 2015-04-14 17:56:34
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